赦しとは何か

赦しは、兄弟から自分に為されたとあなたが思っていたことは、起こってはいなかったと認識する。罪を赦すことで、それを実在するものとして扱うのではない。罪は存在していなかったと見るのである。その見方において、あなたの罪のすべてが赦される。罪とは、神の子についての偽りの概念以外の何だろう。赦しは、罪をただ虚偽と見るので、それを手放すのみである。そうなれば、今や神の意志は、自在に罪と入れ替わることができる。

 

赦したくないという思いは、裁く思いであり、その判断が真実でないにもかかわらず、決してそれを疑おうとしない。心は閉ざされ、解き放たれることがない。そうした思いは、心の鎖を固く締めて投影を守るので、歪曲はさらに覆い隠され、曖昧となる。疑問を差し挟むことはむずかしくなり、理性からさらに遠ざけられる。凝り固まった投影と、その投影がゴールとして選んだ目的との間に入り込めるものは、何もない。

 

赦したくないという思いは、さまざまなことをする。自分が選んだ道を邪魔すると見えるものをねじ曲げ、くつがえし、自分のゴールを必死になって追求する。歪曲することがその目的であり、それを達成するための方法そのものも歪曲である。怒り狂って実相を粉砕しようとするばかりで、自らの見解に対立するかに見えるものには一切関心をもたない。

 

一方、赦しは、じっと静かにしていて、何もしない。実相のどの側面をも害することはせず、自らが好む外観へとねじ曲げようともしない。ただ見て、待つのみであり、判断はしない。

赦そうとしない者は価値判断をせずにはいられない。赦すことができずにいる自分を正当化してしまうからである。しかし、自分自身を赦そうとする者は、必ずありのままの真理を歓迎することを学ぶことになる。

 

だからあなたは何もせずにいなさい。そして、何を為すべきかは、聖霊による赦しを通して、教えてもらいなさい。聖霊はあなたの導き手救済者保護者であり、強い希望を抱き、あなたが最後には成功をおさめると確信している。聖霊はすでにあなたを赦している。それがから聖霊に与えられた機能(はたらき)だからである。今度はあなたが聖霊の機能(はたらき)を共有し、聖霊が救った者を赦さなければならない。聖霊は彼の無罪性を見ており、神の子である彼を讃えている。

 

奇跡講座 ワークブック編より