私とは何か

私は神の子である。

完全にして健やかで全一であり、神の愛を反映して輝いている。

私の中で、の被造物は聖別され、永遠の生命(いのち)を保障される。

私の中で、愛が完成され、恐れが不可能となり、対極のない喜びが達成される。

私は、神ご自身の聖なる家である。

私はの愛が住まう天国である。

私の清らかさの中に神ご自身の清らかさが宿るので、私はの聖なる無罪性そのものである。

 

私たちの本性についての真理は言葉で言い表せるようなものではない。それでも、私たちはこの世での自分たちの機能(はたらき)を自覚できるし、もし私たちが自分の内なる言葉を体現するなら、自分の機能(はたらき)について言葉で語り、教えることもできる。

 

私たちは救済をもたらす者である。私たちは世界の救済者としての役割を受け入れ、世界は私たちの共同の赦しにより贖われる。それゆえに、この贈り物は私たち自身にも与えられる。私たちはすべての人を兄弟として眺め、すべてのものごとを親切で善きものと知覚する。天国の門の向こう側にある機能(はたらき)は追及しない。自分の役目を果たしたとき、智識はおのずと戻ってくる。私たちはただ真理を歓迎することだけを気にかける。

 

私たちの目は、キリストの心眼(ビジョン)によりあらゆる罪の想念から贖われた世界を見るための目である。私たちの耳は、神を代弁する声が世界は罪なきものだと宣言するのを聞くための耳である。私たちの心は、ともに世界を祝福するときひとつにつながる心である。そして私たちが達成した一体性の中から私たちは兄弟全員に呼びかけ、彼らが私たちの平安を共有し、私たちの喜びを完成させてくれるようにと求める。

 

私たちはを代弁して語る神聖な神の使者であり、から私たちのもとに送られてくるすべての人々に神の言葉を運びながら、それが自分の胸(こころ)に書き込まれているということを学ぶ。そのようにして、自分がここに来た目的と、自分がここで仕えようとしている目的について、私たちの心が変化する。自分は苦しんでいると考えていた神の子に、私たちは嬉しい知らせを運ぶ。そうして彼は贖われる。目の前に天国の門が開かれているのを見て、彼はその中に入り、神の胸(こころ)の中へと消えて行くだろう。

 

奇跡講座 ワークブック編より