救済とは何か

救済とは約束である。最後にはあなたがへの道を見出すという、による約束である。それが守られないはずがない。時間には終わりがあり、時間の中で生じたすべての想念もいずれは終わると、救済は保証する。神の言葉は、自分が分離した想念を抱いていると考えるすべての心に与えられ、いずれ、そうした葛藤の想念を平安の想念に置きかえる。

 

神の子の心が戦いを思いついたその瞬間に、平安の想念が彼に与えられた。それ以前には、そうした想念の必要はなかった。以前に授けられていた平安には対極はなく、ただ在るのみだったからである。しかし心が分裂しているときには、癒しが必要である。だから、分裂を癒す力のある想念が、心の無数の断片の一部となった。心は依然としてひとつであるのに、一体性を認識できなくなっている。今や心は自らを知らず、自分のアイデンテイテイーは失われたと考えるようになっている。

 

救済とは取り消しである。それは、何もしないことにより、夢と悪意の世界が維持されずに消えていくという意味で、取り消しである。そのようにして、救済は幻想を去らせる。幻想を維持しないことで、それらがただ静かに塵と消えるままにする。そうすれば幻想が隠していたものが顕わになる。それは聖なる神の名に捧げられた祭壇であり、そこには神の言葉が書き込まれている。その前にはあなたの赦しの贈り物が供えられ、そのすぐうしろにはについての記憶が控えている。

 

私たちは毎日この神聖なる場所を訪れ、少しの間、ともに過ごそう。ここで、私たちは最後の夢を共有する。その夢の中に悲しみはない。それはから授けられた栄光のすべてを暗示する夢だからである。今や草は地中に根をのばし、樹木は芽を吹き、小鳥たちがその枝に宿る。新たな視座から見える大地は、今、生まれ変りつつある。夜は去り、光の中で、私たちはひとつに集結した。

 

この場所から私たちは世界に救済を与える。ここで救済が受け取られたからである。私たちの歓喜の歌は全世界に呼びかける。自由は戻っており、時間は間もなく終わる、と。そして、神の子はあと一瞬を待つだけで、を思い出し、夢が終わり、永遠がその光で世界を消し去り、存在するのは天国だけになる、と。

 

奇跡講座 ワークブック編より